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博多三大まつり


全国的にも有名な「博多のまつり」。
陽気で祭り好きな博多っ子が愛してやまない祭りについてご紹介します。



どんたく 【5月3日〜4日・市内一円】
正式名称:“福岡市民の祭り・博多どんたく港まつり”。
どんたくの語源:オランダ語のZONDAG(休日)が訛ったものです。
どんたくの起り:博多松ばやし(※参照)
どんたくに雨はつきもの。2日の前夜祭から、4日の間の1日、必ずと言っていいほど降雨があります。
預り笹:どんたく隊の訪問を受けた商家では、品名を書いたのし札をさげた笹を渡します。どんたく終了後指定の日に笹を持って行くと、商品が貰えました。現在では絶え、笹には風船、バッジが下げられています。
傘鉾:くぐると病気にかからん、傘鉾に神が宿るという民族信仰です。
どんたく料理:手つかみで食べるものです。どんたく隊の訪問を受けた商家では、冷や酒を出すしますが、おつまみは箸・皿を使わないで食べられるように工夫してあります。
期間中の行事
[1]前夜祭(2日夜/博多区築港本町・国際センター)
[2]どんたく広場/明治通り博多区呉服町交差点→中央区天神交差点 3日 13:00〜19:00/4日 16:00〜21:00)
[3]マーチングフェステイバル(4日 16:00〜/どんたく広場)
[4]花自動車(2・3・4日/市内一円)
[5]湾内巡航(4・5日/中央埠頭)
[6}花火大会(4日/博多中央埠頭・20:00〜21:00)
[7]どんたく隊賞予想クイズ(3・4日/各本舞台に用紙用意)
人気投票・投票者は後日豪華商品が当ります。
[8]どんたく写真コンクール(応募先・市民の祭り振興会)
[9]無形文化財松ばやし(3・4日/市内一円)
[10]どんたく隊(3・4日/市内一円の舞台ほか)
※[5]と[6]は、整理券が必要。4月下旬頃、配布されます。
●連絡先/福岡市民の祭り振興会、博多区駅前2-9-28 TEL 441-1170
※内容、日程等は変更になる事があります。

(※)博多松ばやしとは、京都で宮中の正月参賀行事(起源は天平、応永、長享と諸説)であったものが、室町末期(1510年代)博多へ伝わり、町人間の年賀行事として定着したものです。領主(小早川、黒田)への年賀として城中へくりこみ、無礼講のさわぎを行いました。松ばやしの訪問を受けた御礼は一束(半紙)1本(扇)。傘鉾を先頭に三福神(福神・恵比須〈男・女〉・大黒天)が面と衣装をつけ馬にまたがり、続いて棧敷台を引いて稚児たちが“言い立て”(祝い唄)をはやしながら通ります。その後に“通りもん”(仮装)の列が続きます。通りもんの発展したのが、現在のどんたく隊です。



博多祇園山笠 【7月1日〜15日・博多区櫛田神社】
7月のカレンダーをめくると博多の街は、山笠一色です。飾り山のオープンです。
1日当番町のお潮井取りの「オッショイ、オッショイ」のかけ声が響きわたります。

起源:大嘗会の標山説。仁治2年(1241)説、寛元元年(1243)説、永享4年(1432)説と諸説あるが、博多祇園山笠振興会では、寛元元年承天寺の開祖、聖一国師が当時博多に流行した疫病退散のため護摩壇に乗り、聖水をふりまいた説を、とり入れています。

流れ:太閤の町割りによって生まれた、集合自治団体で、山笠の運営は流れ単位で行われていますが、区画整理、町名変更等によって変遷しました。現在は西流、土居流、東流、千代流、大黒流、恵比須流、福神流、中洲流、(福神流れには舁き山はありません)。飾り山は12本です。

◆山笠の行事が表に出るのは6月の初旬頃ですが、1年を通じて、当番町の役員達の地味な活動が行われています。流れによって、進捗状況は違うが、各流とも、1月に“講”と呼ばれる役員の顔合せで山笠の標題が決まり、人形師への製作依頼。4月には振興会主催の代表者会議。行事、費用、山笠の順位確認等が行われます。5月には手拭の発注ほか関係官庁への書類提出、山小屋の下検分。6月に入ると小屋入り神事。山小屋の建設、棒洗い、棒じめ、から山、素山へ、着々と進められます。この頃になると当番町の役員はおろか、若手達も出ずっぱりの日が続きます。28日頃から飾りつけが始まり、“箱崎側、岡側”と独特の方位を示す言葉が使われます。そして7月1日いよいよ幕あけ。櫛田神社神官による山笠に御神入れ、辻祈祷(しめおろし)、飾り山が一せいに公開され、祇園饅頭が配られます。

実際に舁き山が動きだすのは10日からですが、前日9日の夕刻、ミソギ砂のお潮井取り、参加者は“オッショイ、オッショイ”と箱崎浜まで走ります。10日は流れの町内を舁き廻る“流舁き”、11日・あさ山(縁起山)、午後は他の流れ・町内を舁く“他流れ舁き”、12日午後、総合リハーサルで“追い山ならし”、13日は博多の山が福岡へ入る“集団山みせ”、14日は流れ舁き、15日はフィナーレの追い山、午前4時59分の一番太鼓を合図に、各流れが次々と櫛田神社の清道をまわって街へ飛び出し、須崎の決勝点へ向ってタイムレース。最後の七番山が出発する頃はすっかり夜も明け、神社境内の能舞台では荒ぶる神を鎮める能“翁”が舞い始められます。廻り止め(決勝点)に到着した山笠は当番町へ持ち帰られ博多祝い唄を唱和しながら“山ゆすり”。このあと解体され翌年の当番町へ目録と共に引き継がれ、格納されます。



放生会 【9月12日〜18日・東区筥崎宮】
博多三大祭りの締めくくりは、筥崎宮の放生会。何故か、博多っ児は“ほうじょうや”と呼ぶ。

起源:延喜19年(919)というから、筥崎宮が嘉穂郡大分町の大分八幡宮から、現在地に勧請される前から行われていたことになります。元々、放生会は仏教の殺生を戒める教えに基づいて行われる供養の行事で、お宮に残っているのは奈良時代から明治の始めまで続いた神仏混淆の名残りです。神仏分離以来“仲秋祭”と呼び名も変わったが放生会の方が通りがいいです。

放生神事と御神幸: 祭りの期間中、境内や参道の池でスズムシ、ハト、亀、鯉等の放生が行われ、隔年ご神幸があります。昔、博多の課役として毎年、船を新造し神輿を大浜の頓宮まで渡御したという故事から行われているものです。12日夕刻、氏子が演奏する笙、篳篥に合わせ、神官、武者に守られた神輿がしずしずと行進。千代町、吉塚をまわって大浜の頓宮まで8キロのお下り。着飾った稚児の行列も続き、きらびやかな行進。14日は逆にお上りで、本宮へ戻ってきます。

幕出し:放生会は博多人の秋のレクリェーションです。町内、店が単位で、箱崎松原に幕を張りめぐらし、炊事道具やあらかじめ用意した“ごっつおう”を持ち込んで大にぎわい。参道に、検番の出張所や風呂が出来たという時代もあったそうです。幕出しは大正の末期頃絶えてしまったということですが、現在では14日の午後、博多町人文化連盟のメンバーが境内で再現しています。この他1〜2グループが幕出しを行っています。幕出しの道中に唄われたのが「博多長持唄」。幕出しのにぎわいは古謡“しょうさいさんの思いつき”の中にも唄いこまれています。

放生会の露店約700軒: 社前から国道3号線の大鳥居まで約800mの参道には立錐の余地なく露店が立ち並びます。今も昔も、出店の内容は違っていても、高もん(興行物、サーカス、見世物、幽霊屋敷)・駄菓子・玩具等、時世に応じて参詣者を楽しませてくれたり、驚かせてくれたりします。


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